いのちときずな
議会新聞社 社主 光永 勇
昨年は、大手術をしましたので、命とか絆とかを大変意識しました。いのちは自分の身に迫った問題であると同時に、いま日本の社会が直面している大変大きな課題でもあります。命を失うということは、自分にとってはそれで終わりですが、後に残されたものにとってはそれをどう受け止め、引き継いでいくのかという、そこから始まる問題となります。歴史はそんな風に紡がれて行きます。ですから、これまでの自分の生き様が、歴史によって検証されていく過程が始まると言ってもいいでしょう。いつまでたっても、これで十分と賂百えないもので、業のようなものを感じます。
私はいつ死んでもいいという気持ちで闘ってきましたが、いざこういうときを迎え、来し方を思うと、もう少し時間がほしいと痛切に恵いました。幸い手術ができて、時間を与えられてみると、これまでやってきたことで培われた絆を感じざるを得ません。皆さんのおかけ、これまでの生き方のおかけ様が、私の命を永らえさせてくれたことに、深い感謝と敬虔な気持ちを覚えざるをえません。運命の前に謙虚な気持ちになりました。
先日、おかしな夢をました。私が妊娠して、お腹の子と対話している夢でした。実は手術というのは、腎臓移植でした。2年ほど透析治療を受けましたが、体力的に持だないと思い思い切って生体腎移植に踏み切りました。幸い次男が提供を申し出てくれて、無事手術を終えました。お腹の子はその彼だったのです。不思議ですが、お腹に入った次男の腎臓がそんな夢を見せたのでしょうか。息子に話したら「そんなことが」と笑っていましたが、改めて血の絆に驚かされ、一入愛おしさが感じられたものです。
さてそこから、私が何をなすべきかを考えてみました,永らえた命を使い、吏なる絆の広がりを作るために、勝手運の運動をさらに発展させ、強固なものにしていかなければならないことに改めて思い至りました。そのひとつが医療の分野での改革です。
今回の手術に際して、多くの人との出会いから、新しく目指すべき贈も見えてきました。自らが病を得、それを克服しようとしたときに、痛切に視えて来るものがあります。医療の分野には多くの矛盾があり、理不可がまかり週っていると感じました。苦闘している多くの患者さんや、医療関係者のみなさんとの出会いがそれを教えてくれたのです。
勝手逓運動はもともと決まった形があるわけではなく、それゆえに、何をなすべきかがはっきりしているわけではありません。ですから、やっても勝手逓、やらなくても勝手連と、言えば言えなくもないのです。しかし人は、無為のままに過ごすことはできません。そして独りではいられないのです。だから人は徒党を組み、具体的な目標を作って、右往左往します。そのことが悪いわけではありません。しかし佐々にしてそのことが想いとは逆の結果を生み出したりもしてしまいます。これまた人の性、業だと言えましょう。それをいかにして克服し、よりよい社会システムを作っていくのかを、今後の勝手進運動では目指したいと思います。文字通り、生まれ変わった私の任務だと思っています。これまでの運動の単純な延長線上にあるとは思いません。しかしまったく別の発想らそれが生まれるとも
思えないのです。
一昔前の言葉で言えば、矛盾を止揚するところにその溢があるのではないか、そんな風に考えている所です。
とりあえず、情報センターを立ち上げたいと思います。幸い沖縄の金武湾のほとりに、小さなホテルを持っています。二十室ほどの小さなホテルですが、なかなか快適です。今そこに、モンゴル国の領事館分室を設置しています。どんどんそういうものを増やしていこうと思います,それから、全国の市民運動・政治運動の連絡拠点と情報センター、資料室も作ります。この議会新聞も、より発展させ、犬新聞が自己規制して書かないような記事をタブーを恐れず書こうと思っています。もちろんインターネットの力も重要です。それらに精通した若い力とのネットワークも作ります。宿泊も安く提供できますので、とりあえず沖繩でやりたいことがある人には、来ていただいて交流を深めたいと恵います。
フリースクールや、サッカー教育プログラムなど、多くの人々から、命の危機からの生還を祝うお言葉と一緒にオファーが殺到しています。まずはできることから、そしてますます大胆に、死を意識した強みで精いっぱいのことをやってみるつもりです。
全国の同志の皆さんに、改めて新年のご挨拶を申し上げ、勝手逓の新しい道を探る希望の旅にお誘い申し上げる次第です。本当にありがとうございました。今年もよろしくお願い申し上げます。